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zoom RSS 治安維持法犠牲者・久木興治郎のこと

<<   作成日時 : 2018/07/26 16:51   >>

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u>81年前、1937年、7月24日、天神祭の宵宮でのできごと、久木興治郎(ひさき こうじろう)が、大川で遊泳中、溺死。28才でした。

大阪民衆史研究 第71号をシャンソン歌手・民衆歴史研究家 松浦由美子さんから送られました。彼女はー3・15事件治安維持法犠牲者・久木輿治郎の大阪における足跡を追うーを寄稿しています。

久木輿治郎は滋賀県出身で大阪外国語学校在学中に社研部に加入、受験生に読者会勧誘のビラを配ったと天王寺署に連行され、大学から放校されます。

中国への侵略戦争が本格化し、戦火を広げる日本政府の危険な戦争へ抗議をし大阪で活動した久木興治郎の足跡を追って調査をしておりました。

若くしてなぜ彼は死んだのか。当時の新聞を見ても、他の水難事故は報じていたが、彼が大川で遊泳中、溺れ死んだという記事はない。

当時は治安維持法の弾圧により、多くの名もなき人々が犠牲になった。
1人でも多くの犠牲者の記録を残し、顕彰することを急がねばならない。と彼女の決意は固い。
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輿治郎のルーツを求め、滋賀県にも何度か足を運び、親戚や知人、菩提寺の住職さんからお話をお聞きした。
弟さんお話では「兄は旧制中学から、水泳は達者だった」と証言。当時、旧制中学の学生は琵琶湖に浮かぶ多景島まで5キロを往復遠泳したという。「自殺するような人ではない」と当時の学友も。

当時の新聞を見ると盧溝橋事件を契機に日中戦争がはじまり、防空訓練と天神祭の宵宮で混乱し、川で遊泳するような状況ではなかったと思える。そんな時に自ら川に泳ぎに入るだろうか。松浦さんの疑問は残る。
今でも宵宮は船渡御などの準備で忙しそうです。

松浦さんはとりあえずこれまでの調査の中間報告ですとわざわざ冊子を送っていただきました。
若き久木輿治郎青年が行動していた都島区は私の行動エリアでもあり、大きな関心をそそられます。松浦さんの丹念な調査努力に感銘を受けます。




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