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zoom RSS 岐阜白川町『乙女の碑』に誓う

<<   作成日時 : 2018/11/20 21:17   >>

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女性も性奴隷の戦力か?胸痛む性接待なのだ。旧満州(中国東北部)に開拓団として渡り現地で亡くなった女性を悼む、岐阜県白川町の「乙女の碑」で18日、新たな碑文の除幕式が行われた。終戦後、団の安全の見返りに攻め込んできた旧ソ連兵への「性接待」をしたこと明記した。

性接待は、1945年9月から11月ごろにかけて旧黒川村(現白川町)などから渡った黒川開拓団であった。
新たな碑文には数え年で18歳以上の未婚女子15人がソ連兵への性接待を強い、このうち4人が性病などで死亡したことを記した。
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団は46年日本へ引き揚げた。碑文は、当時の佐藤ハルエさん(93)の「私らの犠牲で帰ってこれたということは覚えておいてほしい」との言葉を紹介。「史実を正しく伝えるとともに、平和の大切さを伝えていきます」と結んだ。
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 (写真は岐阜新聞)
乙女の碑は82年、旧満州黒川開拓団・黒川分村遺族会が設置した。ただ当時は女性や家族から反対があり、性接待の説明は一切なかった。今回遺族会が女性らの理解を得た。

除幕式では遺族会の藤井会長が「犠牲になった女性たちにお詫び申し上げる。悲劇を繰り返さないよう責務を果たしていく」と述べ、佐藤さんが「碑を大切にしてほしい」と訴えた。 (毎日11.19夕)

日本の敗戦が8月15日ですから、その直後、ソ連がソ満国境をこえ満州で不法な侵略をはじめ、多くの女性や子どもの命も奪われたのです。そして残った戦力として性接待をソ連兵に行い、残された開拓団の命を救ったわけです。

なんという惨いことでしょうか。戦争とは武器で戦う兵隊だけでなく、こうした若い乙女たちが口には出せない残酷な死を余儀なくされたのです。孫娘たちの愛らしい姿が目に浮かびます。生きているものとして、絶対に憲法を変えてはいけないことです。このような碑文に変え、反戦を呼びかけられたことは、重要なことですね。

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