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zoom RSS 学童疎開船・対馬丸撃沈74年

<<   作成日時 : 2018/08/16 20:56   >>

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きょうの夕刊を読んで太平洋戦争中1944年8月21日夜、学童疎開船「対馬丸」は国民学校の児童や教員、一般疎開者など約1800人を乗せ、長崎に向けて沖縄、那覇港を出発しました。

対馬丸は、沖縄への米軍上陸を前に子どもたちを避難させるために沖縄那覇港を出ましたが、翌22日夜、鹿児島県・トカラ列島の悪石島沖で米潜水艦の魚雷攻撃を受けて、沈没しました。1482人が犠牲になったことはわかっています。
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約150K南の奄美大島の海岸には多くの遺体や、1週間漂流した生存者が流れ着きました。当時9歳で乗船し、いかだで6日漂流した末、宇検村の無人島に流れ着いた平良啓子さん(83)は、一緒に筏に乗っていた生存者が次々命を落とした様子を語りました。
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そして「私がいつまでも語り継ぐわけではない。みなさんが事件のことを学び、、後に続く人に伝えてください」と語りかけた。沖縄県が中心になってはじめて、企画し昨年住民らが中心となって建立された慰霊碑を見学、島の小中学生と交流し、戦争の悲惨さをともに学ぶことになったようです。

対馬丸の悲劇は、語り伝えないと戦争の影に隠れてしまいそうです。

             対馬丸子らの叫び眠られぬ晩夏     とき子

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